中日翻譯家協會漢譯「和歌」已刋出第二十二,得到了中國和日本友人的廣泛關注和大力支持,收到了一些專家學者的點評,在此表示衷心的感謝。為了更好地理解《萬葉集》的漢譯,中日翻譯家協會金暁明會長在連載專欄中除了介紹毎期的作者和作品的背景,還將根據版面陸續為讀者介紹萬葉集的相關知識,並希望能夠聽到更多的讀者聲音。
《萬葉集》的風土(11)
泊瀨朝倉宮、飛鳥岡本宮的規模究競有多大?從其占地面積比較狹窄這壹點來推測,其規模都不太大。近江的大津宮似乎按照中國大陸的風格建造得雄偉高大。藤原宮以其宏偉壯麗而聞名。到了奈良時代,形成了以宮殿為中心的城市。皇宮周圍的道路縱橫交錯,大路兩旁植有林陰樹木。皇族、大氏族的宅邸相繼而建,壹般庶民逐漸增加。以東大寺、西大寺為首的各大寺也逐步建成,神社也開始請了神。於是形成了作為首都的盛狀。
後來卻因遷都,而只留下了遺址,宮城的土地開始冷落忘涼,人們在贊頌新京的同時也留下了感嘆故都淒涼的千古絕唱。人們在對古都明日香、藤原的追憶中,喚起了眷戀故鄉的無限感慨,有的歌人竟然為了寫作和歌重歸故裏。
《萬葉集》中的許多作品就是在這樣時代的風土上,將人們的心聲表現在和歌作品之中,留下了許多坦誠的樸實自然令人感嘆的不滅歌聲。
本周是第二十二期,為各位讀者翻譯的是柿本人麻呂的作品。
作者:柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)出典:《萬葉集》卷二.
和歌背景.這兩首是悼念從吉備國(岡山縣)津宇郡(都窪郡)招入宮廷的宮女釆女、才人、巫女,見圖)的短歌。宮女們是在天武或持統年間從各地的豪族中挑選的容姿端麗的年輕女子,入宮後待奉皇族。在作者人麻呂時期還是這種傳統形態,但是到了律令制時代則出現了職業化的傾向。
根據短歌中“誌賀津の子ら”、“凡津の子”,並且出現“罷り地の川瀬の道”來推斷,宮女們無疑死於誌賀(見圖)的河川。這樣就自然產生了出身於吉備的女性死於什麽原因的疑問。更不可思議的是,宮女侍奉在天皇身邊,不允許與其他男性交往,可是這些宮女好像都有丈夫。在不得己的情況下,與朝廷的官人墮入愛河,被遣出宮廷送回故鄉之時,不得不選擇隱居而投河自盡。在人麻呂出仕之前的天智時代,本來應該是祝福,但是從萬葉集歌詞“見ればさぶしも”來看,他在所佇之地是在宣告悲戀的終結,以此可推斷逝者是為愛情苦腦之極而了結終身。誌賀津的女子可以理解為在誌賀死去的吉備津的女子,但也可以理解為處於同樣身世的其他女子。
原文:
楽浪の志賀津の子らが罷り地の川瀬の道を見ればさぶしも(ささなみのしがつのこらがまかりぢのかはせのみちをみればさぶしも)和歌の技法枕詞(まくらことば)五音句からなる。ある語句の直前に置いて、声調を整えたり、印象を強めたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする表現技法。五音であることを除けば、その働きは序詞とほぼ同じ。序詞とともに、万葉以来の表現技法。◇楽浪の 「志賀」の枕詞。「楽浪」は琵琶湖西南岸地方の古名。◇志賀津の子ら 志賀津の若い娘。長歌の題詞からすれば采女ということになる。志賀は今の大津市北部。津は港。「ら」は親愛を示す接尾語。◇罷り道 死出の道。◇川瀬の道 浅瀬を辿って川を渡る道。「志賀津の子」が入水自殺したことを暗示するか。◇そら数ふ 「大津」の枕詞。◇大津の子 前の歌の「志賀津の子」に同じ。◇おほに見しくは…
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大意この川沿いの道は、采女(うねめ)の葬列が通った道だ。あまりにも若く、あまりにも突然の死だった。川沿いの道を見るだけで、胸がいっぱいになる。亡くなった采女に生前逢ったときのことを思い出す。こんなに突然に亡くなるとは予期せぬことだった。それでも、あの時にもっと彼女のことを気にかければよかったと悔やまれてならない。歌の中に「川瀬の道」とあるので、志賀津娘もまた入水して命を絶ったことが想像できます。そんな志賀津娘があの世へと去って行った川瀬の道を、いままた吉備津采女も去ってゆくとの寂しさを詠っているとも取れますね。入水自害した女性と言えば他にも猿沢の池の采女などが有名ですが、この吉備津采女や志賀津娘などのように、実らぬ恋に思い悩み自ら命を絶った女性がこの時代には少なからずいたようです。
梅山秀幸氏によると、采女とは「地方豪族が大和朝廷への服属の証しとして献上した人身御供」であり、折口信夫はそこに「巫女」としての宗教的な性格を見ていたという。天皇に采女を「たてまつる」=「まつる」ことが、すなわち、「まつらふ」(服属する)ことの証しとなる(それをしないのは「まつろはぬ」人びとや国ということになる)。采女は「国々の魂」であり、したがって、「天皇だけがそれに触れることが許される」。言い換えれば、「采女は天皇以外の男性との交渉は禁じられていた」。
上の歌の采女はなぜ死なねばならなかったのか。「采女の容疑ははっきりしている。夫を持ったこと、罪状は大不敬である」と梅山氏はいう。この采女は、捕らえにきた衛府の役人の手を逃れて自殺したか、あるいは「逮捕されたとすれば、当然刑死したという可能性も考えなくてはならないことになる」。
金暁明譯
(壹)樂浪誌賀津宮女列行淺灘路目睹過悲傷(二)我望誌賀才人去淚斷西行涉石川(三)誌賀津釆女,嗚咽過淺川。淒淒西去路,觸目心傷寒。
趙晴譯
(壹)淺灘道淒涼樂浪誌賀津碧玉傷魂流水長(二)淺灘道上多悲嘆宮女紅淚落水深(三)悲歌若可聞,淺灘嘆香魂。玉落心傷處,紅淚流水深。
趙一可譯
昔有誌賀佳人美渡去川瀬辭宮闈離路壹望多寂悲
劉紅譯
(壹)樂浪誌賀津有女川邊赴冥路曲徑訴淒楚(二)誌賀有女赴冥路川邊小徑訴淒楚(三)樂浪誌賀津有女赴冥路川邊小曲徑猶見顯悲涼
参考文献:1.《万葉の秀歌》中西進著年7月10日筑摩书房发行2.《写真でみる万葉集》一九六〇年朝日新聞社3.《万葉花譜》田中真知郞著(有)光書房4、《日本文学研究資料万葉集》有精堂出版株式会社5、《万葉秀歌探訪》6、《日本人の心の言葉.大伴家持》铁野昌弘著7、《初期万葉》阪下圭八著8、《万葉歌を読む》佐佐木幸系岡著.岩波書店9、《万葉を解読》佐佐木隆.日本放送出版協会10、《日本語大辞典》講談社第二版11、《わたし万葉歌碑》犬養孝
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